区医創立 70 周年おめでとうございます 原 田 直 己 原田外科整形外科 70 年前というと私は3歳で飛騨高山の地で元 気に遊び回っていました。 高山は木材の産地でしたので私の遊んだ積み木 は家の柱に使用する木材をそのまま積み木用に切 断加工したもので短辺・厚み 10cm 長辺 20cm と いう幼稚園にも無さそうな巨大なものでしたが 色は塗られてなく無垢のままでした。 また冬になると毎年体格に合わせた木の箱ソリを 作ってもらいましたがその材木も厚みが2 cm 以 上ある立派なもので、一番小さなものは何回かの 引越しにも耐えて大阪までやって来ましたが大阪 でも大人が乗ってもびくともしませんでした。 父は高山日赤の外科に在籍し周囲は山ばかりで 近くには医療施設がないため近隣の外科の患者を一手に引き受けて大忙しでした。しかし父 が赴任するまで出産は町の助産婦さんが仕切っており、日赤の産科は開店休業状態でした。 これを見て父は日赤の産科の第1号出産児として僕を産ませました。ちなみに第2号は3年 後(浪速区医師会が創立した時)私の妹とのことです。私が日赤で生まれたことで母は子育 てで少し面白い経験をしています。それは病院の産科看護学生の沐浴実習です。私が産まれ るまでは人形を使って実習をしていましたが、生まれてからは病院で沐浴の準備ができると 官舎の我が家に電話がかかってくるのです。母はその電話があると病院に私を連れてゆき、 看護学生は私を使って生きた赤ちゃんでの沐浴実習をしていたようです(その時の思い出は 生後直後ですので全くありませんが、母からよく聞かされました)。 そんなこともあるためか三輪車に乗れるようになると一人で家から病院まで勝手に三輪車 で出かけて行き、途中のお菓子屋さんでお菓子をもらい、外科の外来で看護婦さんと一緒に なって包帯巻器で包帯を巻いて遊んでいました。 病院の外来で小さな子が遊んでいることに何ら文句も言わない世界なんて今から考えると 何とものんびりした世界ですね。 129
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