浪速区医師会 七十年の歩み

実録、ナニワク・イーストサイドの 70 年! 佐久間 孝雄 あいぜん診療所・佐久間医院 浪速区医師会 70 周年、おめでとう御座います!! また、先日、親父などは ‘感謝状’ まで頂きまして嬉し恥 ずかし、身内として御礼申し上げます。 さて、浪速区東エリアにあります佐久間医院について 少々。この医院と浪速区医師会との繋がりは、2 代目通天閣 の開業を控えた昭和 30 年に、我が祖父の孝(たかし)が天 王寺区から引っ越し、日本橋で医院を始めたのが最初でし た。そうです、医師会さんと同い年ぐらいなんです。 その後、昭和 60 年には私の父、靖博が継承しました。当時、 私はピチピチの(ズボンがね)小学 5 年生でした。浪速区 堺筋は既にでんでんタウンと呼ばれていて、50 周年で森本靖彦先生が絵画で描かれていた あの風景そのもの。ナンバから電気屋街への人並みも賑やかで、電化製品を抱えて家路に帰 るお父さん達のほか、段ボールを回収してリアカーに積み込む日焼けしたオトコ達が多くみ られました。そう言えば、我が家の前を根城としていたインド映画に出てきそうなあの半裸 の爺サンは、どうしてるのだろう??生活格差に思春期の頃は思うところが有りましたが、 最近はすっかり忘れてました。 で、令和 4 年、私が同医院を継ぐことになりました。新規開業のような力の入ったモノで はなく、親子間の継承というのは「4月から外来やるわな」という簡単な申し送りで始まり ます。スタッフもおんなじ面子。それでも、時代の流れに背中を蹴られながら、紙カルテは パソコンに、水銀血圧計は電子血圧計に、体重計もデジタル式にとマイナーチェンジ。おい! SDGs が叫ばれとる昨今、こんだけ電気に依存したシステムにして大丈夫なのか!と環境を 危惧する私。『完全アナログ人間党』を立ち上げ、政界進出したい気分でございます。 これほど、電子化が進んだというのに、気づけば日本橋には電気屋が無くなりオタク文化 が進出し、フィギュア専門店、メイドカフェが台頭し、外人が集まり、などなど。随分風景 も変わりました。日焼けのオトコ達も知らぬ間に居なくなりました。 そんな中、変わらずひっそりと佇む佐久間医院。e スポーツとカプセルホテルを一体化し たとかいうチカチカネオンの建物が向かいにあり、診療所の白壁を照らします。外人向けカー 60

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