医師会館三代の記 竹中 秀裕 竹中医院 昭和28年12月 浪速区医師会創立以来、医師会事務所 は歴代会長宅に置かれており、総会等は保健所や区役所の 講堂等を利用して行われていた。しかし会員の増加、医療 情勢の変化、事務の煩雑化に伴い、医師会活動の拠点とな る我々自身の医師会館が欲しいという願いは当時より全会 員の希望であった。歴代会長も会館建設の夢をしばしば語 られていたという。 そうした中、昭和 45 年に初めて(旧)喜多ビル(現在の 日本橋東 3 丁目 7 番地付近)に事務所が開設された。二階 の二部屋を借りて事務室、会議室に充てていた。 昭和 46 年頃と思うが、当時浪速区医師会 B 会員で高津病院に勤務していた私は、その会 議室で勉強会に呼ばれ、「下肢静脈血栓症の手術療法」の話をし、当時の川合弘一会長から お褒めの言葉を頂いたことを記憶している。 昭和 53 年、学術担当理事に就任した私は、医師会会議室が狭いため、勉強会を(旧)三 和銀行会議室や山水ビル会議室を借りて開催したことを覚えている。和田 敬先生(当時 国際親善病院内科)の心電図シリーズが好評であった。 この間も、新しい医師会館建設の夢は川合会長、落合会長、川田会長と引き継がれ、一時、 浪速区逢坂町の旧大阪府医師会看護学院跡地(旧日東小学校分校跡)や現在の浪速区老人福 祉センター空地が候補にあがったこともあった。しかし、いずれもうまく行かなかったが、 昭和 51 年頃から健康増進を目的とする「なにわ保健センター」構想が生まれ、これの実現 のため各種委員会を立ち上げ、その構想や資金運営面につき鋭意検討を加え、府医、大阪市 へ陳情を繰り返した。その結果、大阪市環境保健局長、浪速保健所長、区長、市会議員の助 力もあって、昭和 59 年 4 月、浪速区敷津西 1 丁目の地(現 浪速図書館の2階)に「なにわ 保健センター」及び「なにわ保健センター附属診療所」が設立された。これに伴い、医師会 事務所も喜多ビルから本センターへ移転となった(「浪速区医師会三十年の歩み」、「四十年 の歩み」に詳細)。 「なにわ保健センター」では、エルゴメーター、トレッドミルを使い、心肺機能を調べ、 100
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