たが、1 年目があまりに大変だったことと、当時、名古屋大学大学院医学系研究科の研究生 として博士論文を作成中で、研究も総仕上げの段階に入っていたため、浪速区医師会の理事 は 1 期で退任させていただきました。 その後、博士号を無事取得できましたが、今度は運営委員を務めていた大阪府医師会看護 専門学校の閉校が決定し、混乱なく閉校できるように協力要請を受けました。最も危惧され ていたのは閉校後に留年生が出ることで、私は運営委員と共に非常勤講師も務めていました 関係で、必要時には補講を行うように要請され、資料作成も行いました。そして留年者を出 さずに大阪府医師会看護専門学校は無事閉校することができました。大阪府医師会看護専門 学校はよい学校でしたので、運営委員の先生方や講師の先生方は閉校を大変惜しまれていま した。個人的にも講義の他、入試の面接官や判定会議に参加させていただく機会にも恵まれ、 大変よい経験をさせていただきました。 こうして大阪府医師会看護専門学校での任務も終了し、ちょうど同じ時期に父が浪速区医 師会の役員を退任することとなり、その機に二度目の理事に就任させていただくことになり ました。今回は大阪府医師会の医療問題研究委員会への出務が主な任務となりました。浪速 区医師会内では 1 期目にはとても内容を聞く余裕もなかった理事会ですが、今回は浪速区医 師会創立 70 周年記念行事検討委員会の末席にも加えていただき、文字には書ききれないこ とやみなさまの思いなどをお聞きする機会に恵まれ、それを次世代に紡いでいく必要性を感 じました。 まだまだわからないことが多く、普段は日常業務に追われ、睡眠もままならない状態で、 なかなかお役に立てない状況が続いておりますが、諸先輩方に御指導を仰ぎながら浪速区医 師会の文脈や経緯などを紡いでいけたらと思います。 103
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