付の段階で診療を断る日々が続いておりました。何とかして診てあげられないものか、しか し他の患者様やスタッフのことを考えると難しい、辛い日々でした。検査など出来なくても、 できる範囲で診察と投薬だけでも行いたいという気持ちで、スタッフと話すこととしました。 賛否両論出ました。そして話し合った結果、診療を 30 分切り上げ、対策をとって発熱患者 のみ診察する、出来るだけ診察スペースには自分ひとりが入るなどを決定し、ゴールデン ウィーク明けから発熱外来をスタートしました。 当時は報道もあり、この新型コロナに対して恐怖がないわけはなく、考えられる範囲で様々 な対策をとりました。100 円均一ショップで大量にレインコートを買い込んで、防護服変わ りに着用し、当時 N95 マスクも少なかったため何度も滅菌して使用し、ゴーグルやフェイ スシールドを着用し、手袋も何重にも装着した上で、咽頭の観察と呼吸音の聴取だけを行い、 投薬するという、それだけの外来でした。それでも患者様に少しでも楽になってもらいたい、 そんな気持ちでした。6 月ごろにはPCR検査が大阪市主導で始まりました。医師会からド ライブスルー検査の手伝いなども始まりました。今思い返すと、あれだけ厳重な装備で、室 外でドライブスルー検査をするだけなのにと滑稽に思いますが、当時はそれでも緊張したも のでした。当院の発熱外来も慣れていないため、3 枠しか 1 日に診療しなかったのですが、 毎日 10 件ほど問い合わせが入り断るケースも増えてきました。反対に、通常診療の患者様 は減少し、年配の患者様は「難波に出るのが怖いので、近医に代わります。」との連絡も増 えました。社会全体が新型コロナウイルスの動向とその報道により、動いている感じでした。 当院は特徴として午前診より午後診の方が、患者の数が多かったのですが、当時は 6 時ごろ にはほぼ患者様がいなくなる状態でした。また終わって帰宅する際も、これが難波かという くらい、真っ暗で、人が歩いていない状態でした。夏になり、益々新型コロナ患者の患者数 と報道が増えて、みな怯えていきました。当院のスタッフも発熱外来で働いていることを理 由に、帰省を断られることもありました。その事で泣いているスタッフを見て、何のために 発熱外来を始めたのだろうと思ったこともありました。それでも、夏ごろより医療機関から の紹介は優先的に大阪市のPCRセンターで検査を受けられるようになりました。秋頃には 当院でも外注で PCR 検査が可能となり、冬頃には抗原検査キットを用いて当院でも診断可 能となりました。徐々に発熱外来の予約から診察や投薬への体制も整いましたが、相変わら ず一般診察は自粛が増えていきました。年が明けて再度の緊急事態宣言が発表されると出口 の見えない、社会状況が続いて不安な日々を過ごしたものでした。 年が変わって、初めての朗報が発表されます。ワクチンの登場です。初めての mRNA ワ クチンで、十分な治験もされないまま承認されたこのワクチンに、人々は希望を託しました。 浪速区でも、前有田会長と浪速区役所の主導で、大規模なワクチン接種が開始されました。 その後個別接種も開始されます。このころ、医療現場のひっ迫を回避するために、「みなし 47
RkJQdWJsaXNoZXIy NDY3NTA=