浪速区医師会 七十年の歩み

63 Problématique 10 年ぐらい前から、疑問が増えていることに気づいた。何故 わからない事が増えていくのだろうか。よく考えたら、今までこ の方、解決を先送りにしてきたからということに思い至った。 最初に抱いた疑問だが、6歳の頃積み木を箱に片付けていた時、 円柱を一本しまう隙間に、ちょうど 3 本の同じ高さの円錐の積み 木が入るのではないかと思った。後年これはカヴァリエリの原理 で説明されることを知るのだが、未だ納得していない。積分すれ ば良いと思われたかも知れないが、そもそも厳密に考えない場合、 錐体の体積は同じ高さ同じ低面積の柱体の 3 分の 1 であると先想 された解説であることがほとんどである。厳密に考えるとは、ル ベーグ積分や測度論まで視野に入れて考えるということである。更にその一年後、計算ドリ ルの最後に一問だけ校庭のグラウンドの全周をもとめる文章題があった。ニンテンドース イッチのような形をしているのだが、両端の半円の部分の距離がわからない。恐らく直径の 3 倍くらいだろうと推測されるが、まだ円周率は習っていないので、とりあえず 3 倍として 解答したら、合っていた。だが、実際には 3 倍と少しあるな、と思った。さて問題は、ここ からである。何故片方の問題はちょうど 3 倍で、もう一方は 3 倍と少しという具合で、きっ ちりしていないのか。自然は何故こうも完全に作られていないのか。アルキメデスの墓標に は、円柱、球体、円錐の体積比が、3 対 2 対 1 の整数比であることを発見したことが刻まれ ているが、円周率などの無理数は、同じ自然を形作っているのに、その範でない。 次は高校 1 年の林間学校の帰路の車中で吉田君が急に立ち上がって、「人間は何のために 生きているのだろう。」と言ったのである 。その夏休みの間、宿題もせずにその難問の答え を考え続け、一ヶ月後結論が出た。答えがない問であると。何の為に生きるのか、に答えが あるとすれば、その答えは、「何々の為に生きる」となる。個々人への生きる意味の問いな ら兎も角、人間の生きる意味など神が存在しない限り答えはない 。私は解答を見つけて意 気揚々と 2 学期を迎えた。教室はその問題で湧いていた。皆答えを見つけていないのだなと 思った。担任の先生は「何のために生きるのか」ではなく、「どう生きるのか?」と問うべ きだとおっしゃった。僕は、「違う」、と思った。俺はその答えを知っている。 井 上 宏 之 井上医院

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